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悲しみと向き合うために

2013.11.13 09:09|悲嘆のプロセスについて
 札幌は昨日から雪が降り始め、すっかり冬景色になりました。
 
 息子を亡くしてから、「死別後の悲しみのケア」について、興味を強くもつようになり、勉強を続けているのですが、先日、医療従事者向けに「悲嘆について考える」と題して文章をまとめたので、ここにも載せておきたいと思います。以下、本文です。

「悲嘆について考える」
 
 昨年、息子との別れ(三十八週での死産でした)について書かせて頂いたのですが、今回も自分の体験を振り返りつつ、悲嘆について考えたことを綴ってみたいと思います。
 現在、死別から一年八ヶ月が経過しましたが、悲しみに圧倒されることは少なくなり、日常生活はほぼ苦痛なく過ごせるようになりました。息子の不在に対する根本的な悲しさは今後も消えることはないと思いますが、現在に目を向け、今ある幸せを感じられるようになってきました。
 出来事を自分なりに受け止め、悲嘆のプロセスを進む中で、多くの大切な気付きや学びがありました。死別前の自分と、現在の自分は同じではなく、これまでの価値観を整理し、もう一度自分を作り直す作業をしてきたように感じます。当初は「どうしたら元の自分に戻れるのか」という思いでもがいていたのですが、「元に戻る」「普通に戻る」のではなく、新たな自分を作っていく必要があるのだと気付き、徐々に前に進めるようになりました。

■喪失を悲しむということ
 悲しみは、大切なものを喪失した時に生じる、自然な感情です。忙しい今の社会では、悲嘆のさなかにいる人に対して、「過去は変えられないのだから、いつまでも悲しんでいないで、前を向いて」というプレッシャーがかけられやすく、当事者ですら、「悲しむこと」を否定的に捉えていることが多いように感じます。
 また、男性は「男子たるもの弱音を吐かざるべし」という社会通念の下、成長してきている人が多いので、「悲しむ必要性」がわからずに、感情を懸命に抑制し、孤独に苦しんでいる人が多いように思います。
 今回の体験を通して、本当に大切なものを喪失した場合、特に死別の場合、喪失を忘れたり、何かで代償したりということは不可能であり、喪失したものに深く向き合い、悲しみを我慢したり、回避するのではなく、十分に悲しみ、感情を発散し(=涙を流し)ながら、衝撃を受けた自分の心を癒していく必要があることを学びました。
 大切な人との死別は、どんな人にとっても衝撃的なものですが、特に「突然の死別」(事故や病気による急死、流産・死産、自死など)による衝撃は非常に大きく、大切な人の死そのものを受け止めるのには、周囲が思うよりも、長い時間とエネルギーを要します。
 私の場合も、「なぜ、こんなことが起きたのか」という答えのない問いかけから離れ、息子の死を、変えられない現実として受け止め、現在とこれからに目を向けられるようになるためには、時間をかけて(私の場合は一年ほど必要でした)、十分に悲しむこと、所謂グリーフワークを行うことが必要でした。

■グリーフワークを進める上で必要なもの
 悲嘆のプロセスがどのようなものかについては、様々な説明がありますが、私の中では、大まかに左記のような流れがあったように思います。

・死別後〜二ヶ月ほど
 日常生活を維持するために、悲しみを抑え込んで過ごすも、ふとした刺激(テレビで赤ちゃんを見る等)で悲しみが溢れ出す状態。どこか現実感が乏しい状態。息子との死別について語ったり、触れられたりするのは強い悲しみが蘇って苦しいため、他者との交流を閉ざし、引きこもる。
・死別後二ヶ月〜半年
 強い悲しみが溢れ出すことは徐々に減り、表面上の日常生活は落ち着いてくる。一方で、感情を抑えて過ごすことに疲弊し、抑うつ的で、苛立ちやすくなる。死別について、頭のどこかで常に考えている状態であり、ネット上の当事者サイトや死別後の悲嘆に関する書籍を読み始める。
・死別後半年〜一年
 死別後の生活に本格的に適応するために、試行錯誤した時期。仕事に復帰する。講演会等、知人に会う場(息子について聞かれる場合があるので、当初は回避していた)にも出始める。
 悲しみを自分の内に抱え込んでいることに強い苦痛・孤独感を感じるようになり、悲しみを表出し、誰かに受け止めてもらいたいという強い欲求があることに気付く。他者に助けを求めるようになり、自助グループ「SIDS家族の会」(流産・死産やSIDSなどの病気や事故で子どもを亡くした当事者が対象の自助グループ)に参加を始める。息子との死別について語れる場所が増えるにつれ、自責、自信低下、焦燥感、孤独感が軽減し、前向きな思考・行動ができるようになってくる。
・死別後一年〜現在
 物事をこなすエネルギーが本来の状態に戻ってくる。悲嘆のケアについての興味は持続し、自助グループでの活動等を継続中。

 悲嘆のプロセスは個人個人で異なるものですが、そのプロセスをスムーズに進めていくために、私が特に必要だと実感したのは下記の点です。

1)自分の身に起きた出来事を理解するために必要なこと
・「死因についての医療者からの丁寧な情報提供」
 死別後、「なぜあの人が死ななくてはならなかったのか」「違う行動をとっていれば、死ななくても済んだのではないか」という後悔、自責、他責の念に駆られることは、多くの人に見られる反応です。特に、突然死の場合は、死因についての十分な説明がないままに(あっても、一度の説明で頭に入る状況ではない)、葬儀等の現実的な対応に追われ、少し時間が経ってから、死因についてあれこれ悩み、医学的知識の不足から、自分を責め、悲嘆のプロセスがこじれてしまうこともあるように思います。
 流産・死産で子どもを亡くした母親の場合、死因が不明なことが多く、「赤ちゃんの死は、自分の不注意・不摂生や体の欠陥が原因なのではないか」と自分を責め、次の妊娠に対する強い不安をもつ場合が多くみられます。
 悲嘆のプロセスをスムーズに進めていくためには、大切な人の死に疑問・悩みを持ったときに、適切な医学的情報を得られる場が必要だと感じます。

・「死別後の悲嘆についての正しい知識」
 多くの人にとって、死別による悲しみは、以前に体験したことのない感情です。圧倒的な量・強さの悲しみだけではなく、怒りや不安、絶望、無力感、孤独等、様々な感情を体験することになるので、これらの感情にどう対応し、どう生きていけば良いのか、当事者は大きな戸惑いを抱えています。
 現在では、悲嘆に関して詳しく解説し、当事者や周囲の支援者にとって必要な情報をまとめた書籍やネット上のサイトが数多く存在します。そこから悲嘆に関する知識を得て、自分の感情が死別後にみられるごく自然なものであることを理解することは、まず大切なことです。私の場合、本を読みながら、自分が悲嘆のプロセスのどの状態にあるのかを客観的につかもうとし、その時抱えている心理的問題(自責や怒り等)を解消するためにできることを考え、選択し、行動するということを繰り返しながら、徐々に現実の生活に適応していったように感じます。
 ただ、死別後しばらくは、エネルギー低下のため、細かい文章を読むのが難しいことも多く、また、本を読むことで、悲しみを強く呼び起こすことになるので、涙が止まらず、消耗することもままあると思います。
 最初のうちは、分量の少ないもの、自分と同じような死別の体験談をまとめたものを読み(苦しんでいるのは自分だけではないと実感し、安心することが多いようです)、自分の状態に合わせながら、死別全般に関する書籍を読み進めるのが良いのではないかと思います。
 
2)悲しみを癒し、出来事を受け止めるために必要なこと
・「悲しみを他者に語り、聞いてもらうこと」
 死別体験について、他者に語るということは、とても勇気の要ることであり(思い切って打ち明けても、傷つく言葉をかけられ、失望するという体験をする人も多い)、当初は強い感情を呼び起こすことになるため、苦痛も伴う作業です。しかし、どんなに強い感情も、口に出して他者に語り、受容してもらうことで、徐々に弱まり、楽になるものなので、「悲しみを表出する必要性」に気付き、自分の気持ちを安全に出せる場を探していく必要があると思います。
 死別後に生じる様々な感情を、「それだけの体験をしたのだから、そう感じるのは当然だ」と肯定し、受け止めてくれる他者がいると、安心して気持ちを表出することができ、悲しみを癒すことにつながります。
 身近に良い聞き手がいない場合は、ネット上で(死別直後は人前に出るエネルギーはない状態なので)同じような死別体験者と交流することも一つの方法です。
 また、自助グループに参加することは、当事者同士でなければ、話すことがためらわれる話題(自責の念や死者に対するマイナスの気持ち等)も口に出しやすく、死別後の生活に適応するための具体的なアドバイス(私の場合であれば、納骨はどうするか、お盆をどう迎えるか、次の妊娠についてどう考えるか等)も得られる等、様々なメリットがあると実感しています。
・「自分の感情を吐き出す作業」
 他者に気持ちを語る以外にも、感情を繰り返し吐き出し、自分の気持ちを見つめる作業を能動的にすることが、出来事を受け止めるためには大切だと思います。
 私の場合、死別直後から紙に自分の気持ちを書いていたのですが、死別半年後頃からは、ブログを立ち上げ、日々の気持ちを綴ったり、当事者のために役立つ情報を紹介したりということを始めました。自分の気持ちを正直に、正確に書こうとすると、悲しみを反芻し再体験することになるので、苦しいこともあるのですが、そうすることで、「突然の死別」から受けた衝撃が徐々に薄まり、辛い体験を受け止め、自分の中で消化することにつながったように思います。ブログは、遠くに住む家族や友人に、自分の心の内を伝える手段にもなり(直接は話さなくても)、「どう関わったらよいのか」と悩んでいた周囲の人にとっても役に立ったようです。

■終わりに
 死別後の悲嘆というものは、当人にとっても、周囲にとってもなじみのない感情体験であるため、特に衝撃の強い死別(子どもや若い世代の死、自死、殺人等)や社会的に認知されていない死別(流産・死産)の場合、周囲も当事者にどう関わればよいかわからず、当人もどう助けを求めればよいかわからずに、心理的なサポートを受けづらく孤立しやすいという現実があります。
 私は今回の体験後、流産・死産や小さな赤ちゃんを亡くした母親の話をよく聞くようになったのですが、多くの人が「周囲の人に気持ちをわかってもらえず傷ついた」体験を繰り返し、死別後の生活(特に人間関係)に適応する困難さを訴えていました。
 今後は、悲嘆及びそのケアに関する啓蒙活動や、当事者をサポートするための場所作り等、当事者&医療従事者として自分にできることを考え、行動に移していきたいと考えています。

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miso1213

Author:miso1213
 2010年12月に6週で初期流産、そして2011年12月13日に息子を38週で死産しています。現在、3歳の娘の母親でもあります。
 自分の悲しみと向き合い、心の中の息子と共に、少しずつ前に進んでいきたいと思っています。同じような死別体験者のために必要な情報提供もしていきたいと考えています。

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