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死別の悲しみについて〜息子の死を通して考えたこと

2012.10.30 22:57|私の死産体験記
とある事情で、医療者向けに、自分の死産の体験についてまとめた文章を書きました。息子を亡くして8ヶ月経った頃に作成したものです。

 2011年12月13日、私の大切な息子が、私のお腹の中で突然、38週という短い命を終えました。妊娠経過は順調で、こんなことが起きるとは全く予想をしていませんでした。

 医師に息子の死を告げられた後から、私は「大切な人との死別の悲しみ(悲嘆)」を自らの体験として体験し続け、息子が私の下に来てくれたことの意味を考え続けています。 大切な人との死別が、これほどまでに人に大きな影響を与えるものであることを、私はきちんと理解していませんでした。

 通常の悲嘆反応は、多くの人にみられる自然な反応であり、医療の介入を要するのは(現状では精神疾患とはみなされていませんが)、一般的に考えられるよりも長期(6ヶ月以上)に わたり、日常生活に支障が出るほどの強い悲しみ、苦痛が続いている場合(=複雑性悲嘆)であると教科書的には定義されています。

 自分自身が息子との死別を体験して思うのは、「通常の悲嘆反応」 自体がとても苦痛を伴うものであり、悲嘆に関する知識のない人がこの苦痛に突然投げ込まれた場合、そこからの回復にはとても努力を要するだろうということです。実際、悲しみをこじらせてしまい、医療にもつながれずに苦しんでいる人の声を、ネットサイト上の掲示板(流産・死産・新生児死の当事者向けの他、幼い子どもを亡くした親、若くして配偶者を亡くした方、自死遺族の方等、様々な死別体験者向けの自助グループのサイトが存在します)で数多く見かけました。

■私の悲嘆反応

 告知後、私の頭を占めていたのは、「なぜ、息子が亡くなったのか」「胎動が少ないと気付いた時点ですぐに受診していれば、助けられたのではないか、私の間違った判断が息子の死を招いたのだ」という激しい後悔、自責の念でした。取り返しのつかないことが起こってしまったことは理解していましたが、どこか現実感がない感じもして、涙を流しつつもこれからの処置についての説明を冷静に受けていました。

 告知後、そのまま入院し、陣痛促進剤を使い、普通分娩することになりました。自分のお腹の中で子どもが亡くなっていることを突然告知され、何が起こっているのかよくわからないまま、亡くなった子を産むという状況自体、トラウマとなりうる体験だと(特に初産や、常位胎盤早期剥離で母体も危険にさらされた場合等)だと感じます。私の場合、長女の出産経験があったので、「自分が産むしかないのだ」という覚悟はすぐにでき、息子への気持ちよりも、「娘の下にきちんと帰らなくては」という気持ちの方を強く感じていました。辛い陣痛に立ち向かうためには、生きている娘に気持ちを向けるしかなかったのだと思います。

 圧倒的な悲しみの感情が始まったのは、産まれた直後の裸の息子を胸に抱いた時からです。自分が失ったものの大きさを認識し、息ができなくなるような、胸がつぶれそうな悲しみという感情を初めて体験しました。

 出産後、退院までの2日間を亡くなった息子と同室で過ごしましたが、息子を見たり、抱いたりしているとあまりに悲しくて苦しくなってしまうので、息子に十分に向かい合えなかったことが心残りです。周囲に悲しみを表出することへの遠慮もあったのですが、今思うと、遠慮をせず、泣きたいだけ泣けばよかったと思います。

 退院後は2歳の娘の世話もあり、悲しみに浸っていることは難しく、気持ちを押さえ込みながら、日々の生活を維持することで精一杯でした。考えないようにしようとしていても、 息子のことが頭から離れないため、家事・育児をしながらも常に上の空で、集中力に欠ける状態が続きました。夜になると頭の中は悲しみで一杯になり、涙が止まらず眠れないので、ネット上の当事者の体験談を読んで過ごしていました。

 息子の死を他者に伝えることはとても辛い作業だった(息子が亡くなったことを文字にすることも、口にすることも、悲しみに強く襲われ、泣けてきてしまうので)ので、限られた友人・知人にメールや手紙で簡単な事情を伝えることだけ何とかし、3ヶ月程は家族以外の人とはほとんど接触せずに過ごしました。この引きこもりの期間は、何をしても心からは楽しめず、疲れやすい状態が続き、いつになったら本来の自分に戻れるのかという不安も強く感じました。

 死別後3ヶ月後頃から徐々に物事をこなすエネルギーが戻ってきたのですが、そのエネルギーの多くを自分のグリーフワークに費やす必要がありました。私は当初、自分の悲しみを夫以外の他者に話すことは避け(相手も困るだろうと思い)、自分で何とか処理しようとしていたのですが、息子の死を通して考えたことを誰かに聞いてもらいたいという欲求が強まり、どうにも抑えられなくなりました。夫に聞き手としての役割を求めましたが、夫自身は悲しみに蓋をして日常をやり過ごしている状態でしたので、思う様に話をすることはできませんでした。その後、自ら、同じ体験者が交流するサイトに投稿したり、少しずつ友人に息子の話をして受け止めてもらったりという体験ができ、そのことが自分の回復のためには大きな力になりました。

 8ヶ月経った今でも、息子のことを考えない日はありませんし、涙も出ますが、「泣きたいときには我慢せずに泣いた方が楽になる」とわかった分、随分楽になりました。悲しむことを回避せず、悲しみに真っ向から取り組み、悲しみを悲しみ尽くすということが必要なんだとようやくわかり、自分の進むべき方向が見えてきたように思います。

■流産・死産の特殊性

 流産・死産で子どもを亡くすという体験は、死別の中でもいくつかの特殊な状況をもっています。

1)多くの場合が突然の死別であり、新しい命を迎えるという希望に満ちた状態から、その喪失という激しい状況変化であること (母親は児の死の告知を突然、1人で聞き、強い衝撃を受けることが多い)

2)死別直後に、悲しみに集中することが難しい

 多くの新しい命を迎える場(=産科病棟)で、亡くなった子を産むという状況自体が大きな苦痛を伴い、また、常に他者の目を意識する場にいるため、純粋に赤ちゃんの死を悲しむということが難しくなります。数日後には退院と共に子どもの葬儀に向かわなくてはならないという時間的制約もあり、産科病棟でのグリーフケアが乏しい場合(まだ不十分な現場も多くあるように思います)、児との別れが十分にできなかったり、医療者の対応に傷ついたりと、その後の悲しみのプロセスに影響を及ぼします。

3)周囲の支援が得づらい

 両親にとっては、かけがえのない存在である我が子を亡くすという体験ですが、亡くした子どもは世の中からはその存在を認められておらず(戸籍に残らず、名前も残らない)、周囲もこの悲しみに困惑することが多く、両親は孤立しやすいと言えます。母親は、周囲の励ましに傷ついたり、他者の妊娠・出産に対しても過敏になることが多く、元々の人間関係を回避して引きこもりがちになります。

4)夫婦関係の問題が生じやすくなる

 夫婦共に、子どもを亡くすという悲しみの当事者である一方で、それぞれの悲しみのプロセスは異なるため、夫婦間のすれ違いが生じやすくなります。

 どんな死別の場合でも、その悲しみを他者に話し、受け止めてもらうことが、悲しみを癒すことにつながると思うのですが、前述した事情から、流産・死産の当事者はその悲しみを他者に表出することが難しく、孤立しやすいのではないかと感じます。

■産科でのグリーフケアについて

 妊娠22週以降の死産率は1000出産あたり3.9(2007年厚生労働省人口動態調査)、実数としては年間26000件(2011年)と報告されています。妊娠22週以前の流産も含めると、周産期医療の進んだ現在でも相当数の悲しいお産があるわけですが、この悲しみに対する産科現場でのグリーフケアは、医療機関によってかなり差があると思われます。

 退院後の心理的ケアはほとんどないのが現状であり、当事者は大きな悲しみの感情に翻弄され、今後自分がどうなっていくかの見当もつかず、途方にくれていることが多いようです。

 入院中に、悲嘆のプロセスについての最低限の心理教育や、 せめて、役に立つ書籍や自助グループに関する情報提供だけでも行われれば、その後の大きな助けになるだろうと思います(私の場合は、病院から提供された情報はほとんどなく、多くの当事者がそうしているように、ネット上を彷徨いながら必要な情報を集め、そうすることには大きな労力を要しました)。

■終わりに

 今回、自分自身のプライベートな悲しみについて書くことに対して、ためらいがなかった訳ではありません。ただ、それ以上に、喪失の悲しみを抱えた患者さんをみる機会のある医療者の方たちに、悲嘆及びそのケアについて考えるきっかけになればという思いがありました。

 世の中には死別の悲しみを抱えた人が数多くいるはずなのに、私はその痛みについて深く考えることなく過ごしてきました。 喪失の痛みを身をもって体験した今では、他者の痛みに対して無関心ではいられませんし、いずれは支える側での役割を果たしていきたいと強く思っています。私にとって、息子の死は、悲しいだけではなく、自分の生き方を深く考えさせてくれた出来事であり、これからも、心の中の息子と共に成長し、生きていきたいと考えています。

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病院再訪

2012.10.01 21:10|私の死産体験記
 この2週間ほど、色々とやらなくてはならないことが続き、バタバタしていました。エネルギーを使っているせいなのか、夜になると眠くなってしまい、パソコンに向かう時間もなかなか取れなくなっていました。息子が亡くなってからずっと、自然に眠くなるということがなくなっていたのが、薬を飲まなくても眠れるようになったので(途中で何回か目が覚めはしますが)、ある意味、回復してきているのかもしれません。

 9月21日に息子を産んだ病院の産科病棟師長さんと会って、お話をしてきました。自分が死産した際の医療者の対応で、改善してほしいと思った点についてお伝えするためです。

 産後1か月健診の時にも、死産後のケアについて改善してほしい点等を手紙で伝えたのですが、その時には遠慮して伝えきれなかったことがたくさんあり、心残りに思っていました。もう一度、きちんとお話して伝えなければと思う一方で、相手が私の気持ちを受け止めてくれるか、現状を変えようと思ってくれるか、話しても無駄なのではないか等思ったり、自分自身の生活のことで精一杯だったり・・・という状況があり、ずっと先延ばしにしていたことでした。

 自分の体験を踏まえて、以下のようなことを伝えました。

・死産の告知後、人の目を気にせずに泣けるスペースを確保してほしい(私の場合、夫への電話連絡を廊下の片隅でしなくてはならず(そこで息子の死を告げなくてはならず)、その後もしばらくの間、通常の外来の待ち合いで待たされ、泣くこともできませんでした)
・死産の告知後、母親は大きな衝撃を受けて、精神的な危機状態にあるので、一見、冷静に見えたとしても(私はたぶんそうだったと思います)、十分な配慮をして対応してほしい。何事もなく周囲が流れていく様子を見て、強烈な孤独感にも襲われるので、できれば、家族がくるまでの間一人にせず、担当スタッフを決めて、付き添ってほしい。
・入院中の担当スタッフは、死産を扱った経験もある、ベテランのスタッフ(&教育のために必要であれば新人をプラスで)を付けてほしい(私の場合、明らかに若い(まだ子どももいないのではと思った)スタッフが担当で、私に対してどう声をかけてよいのか困惑している空気が伝わってきて、自分の悲しみを素直に出すことはできなかった)。
・入院中、自分に能動的に関わってきてくれるスタッフは少なく、孤独感を感じた。両親も亡くなった赤ちゃんを前にして混乱したり、とまどっていることも多いので、赤ちゃんと過ごす時間の大切さをきちんと伝え、赤ちゃんときちんとお別れをできるように支援してほしい。赤ちゃんの名前やその由来を聞いてほしい、そういう話をしながら、悲しみの表出を促してほしい(私の場合、人前で泣くことをかなり我慢していて、もっと素直に泣けば良かった、そうすれば夫ももっと泣けて楽になれたのではないかと思っている)。
・退院の仕方を具体的に説明し、誘導してほしい(私の場合、部屋番号と名前、退院する旨をナースステーションで告げたところ、「おめでとうございます」と言われてしまい、とても悲しく、それ以上言葉を出せず、担当者に挨拶もできないまま退院した。また、棺に入った息子を抱えた夫と共に、一般のエレベーターに乗り込み、退院することは、何とも言えない、寂しい、孤独な気持ちを味わった)。担当者が最後まで付き添い、病院の裏口から退院する等の方がよいのではないかと思った。
・赤ちゃんを亡くした悲しみのプロセスについて、基本的な情報を提供してほしい。病院のパンフレットがないのであれば、自助グループで作成しているパンフレットを配布してほしい。また、自助グループの情報も伝えてほしい。
・退院後の産後健診は、通常の1ヶ月健診の枠とは別にしてほしい(新生児を抱いた母親たちの中で過ごすことはとても辛いことでした)

 途中、泣けてきてしまうこともありましたが、師長さんはゆっくりと話を聞いて下さり、改めて、私自身の気持ちの整理にもなりました。ポコズママの会とSIDS家族の会が出されている、当事者向けのパンフレットも持参して見てもらったところ、病棟での配布に向けて動いてもらえることになりました。

 息子を亡くしたという悲しい事実は変えられませんが、流産・死産にまつわる余計な悲しみ・苦しみ(多くは周囲の「悲しみへの無知」から生まれるのだと思います)をなくすために、やれることは色々とあると思うので、少しずつ、自分にできることに取り組んでいきたいと思います。そうすることが、自分の悲しみを癒すことにもつながるのだと思っています。

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息子とのお別れ(1)

2012.07.09 23:04|私の死産体験記
妊娠がわかったばかりの、まだ小さな小さな赤ちゃん。
性別もわかって、ふっくらした体、かわいらしい動きを見せてくれるようになった赤ちゃん。
臨月までお腹の中で順調に育っていた赤ちゃん。

どんな時期の流産・死産でも、赤ちゃんとのお別れは衝撃的な出来事で、医師から赤ちゃんの死を告げられたときから、母親そしてその周囲の人の人生を大きく変えてしまいます。

私の場合は、臨月に入り、38週の健診の日に突然、お腹の中で息子が亡くなっていることを知らされました。

1ヶ月程前から切迫早産の傾向があり、自宅安静を命じられていたものの、娘の時と同じ経過でもあり、まさか、こんなことが自分に起こるとは考えていませんでした。

助産師さんが「赤ちゃんの心拍がなかなかとれないけど、先生にエコーをしてもらえばすぐわかるから」と言われた時点から、嫌な予感がしていました。

医師が顔を曇らせながら、「赤ちゃんの心臓が止まってしまっている」と告げたとき、涙はこぼれましたが、これからの処置などについて、傍から見れば冷静に聞いていたと思います。「赤ちゃんが死んでしまった」と頭では理解しているのですが、悲しくて涙は出てくるのですが、どこか現実感がないような、感覚が麻痺している感じでした。

私はお産は2度目でしたし、最初の子も陣痛促進剤を使って産んだので、処置後(陣痛促進剤を点滴した)のお産の進行についてはある程度予測ができました。処置を始めてからは、「きちんと産んで、娘の下に帰らなくては」という一心で、陣痛に立ち向かいました。

初産で死産される方は、悲しみに打ちのめされた状態で、どうやってこの痛みに耐えるのだろう、どんなにか辛いだろうとも思いました。

圧倒的な悲しみが訪れたのは、産まれてきたばかりの、まだ温かい息子を胸に抱かせてもらってからだと思います。
なんで、目を開けないんだろう、声をあげてくれないんだろう。
あともう少しで会えたのに。
なんで、なんで、なんで・・・。

今まで、身近な人を亡くすという体験もなく、赤ちゃんをどう見送れば良いのか、ということにも全く頭が回らない状態でした。2日後に退院し、同日に火葬することになりましたが、最初は赤ちゃんに会うのは夫婦だけにすることも考えていました。

でも、師長さんが貸してくれた「ともに生きる たとえ産声をあげなくとも」という、流産・死産体験者のお話が集められた書籍を読み(夜、眠れないので一気に読みました)、考えが変わりました。

夫の両親、私の母(父は遠方かつ仕事で、駆けつけるのは無理でした)も孫の誕生をとても楽しみにしてくれていました。息子と会うとショックを受けるだろうし、会わない方が良いだろうというのは、私たちの勝手な判断ではないかと思いました。

そして、両親達にどうするかを尋ね、結果、きちんと会って、お別れをしてもらいました。
一方で、葬儀場には夫婦と娘、私の実母のみで行きました。私自身が、夫の両親に自分の泣く姿を見せることがどうしてもできなくて(病院で息子と対面したときも私は席をはずしました)、遠慮してもらいました。

当時、2歳半の娘にもどう息子の死を伝えれば良いのか、息子と会わせるべきなのか、迷いました。最初は「会わせない方が」とも考えていたのですが、これも上で書いた本を読んで、考えが変わりました。娘は弟の名前も、もうすぐ産まれてくることも理解して、会うのを楽しみにしていました。やはりきちんと弟に会って、娘にわかる形できちんと説明してあげなくてはいけないと思いました。

娘はこちらの心配はよそに、弟の顔を見たとたん、「かわいいねえ~」と言い、「なでなでしてあげる」と頭をなでました。火葬前に自宅に短時間戻ったときには、夫と一緒に、棺に入った息子に家中の部屋を案内してくれました。
今でも、時々、空に向かって弟の名前を呼んだり、娘の中にもきちんと息子が生きていて、一緒に「お空で何してるのかな」と話せるのは、嬉しいことです。

息子との思い出のために私たちが遺したものは、
・病院でとってくれた、紙にとった足形(産まれた時間、体重、身長も記載)
 ~へその緒は渡されなかったのですが、希望すれば良かったです。
  その時は思いつきませんでした。
・息子の爪、髪の毛 
 ~今は遺骨ペンダントに入れて、夫婦共に身に付けています
・母子手帳、妊娠中のエコー写真
・写真 ~夫婦で交互にとった、息子を抱いた姿(携帯で)
    ~自宅でカメラでとった棺に入った息子の姿
~当時は息子を抱いていても悲しくて辛くて、写真をとっても・・・という思いがあったのですが、今では、写真をとろうと言ってくれた夫に感謝しています。3日間、病室で息子と一緒に過ごしたのですが、悲しくてきちんとお顔を見れなかったせいか、時間と共にあまり顔を思い出せなくなったのですが、写真を見ることで、思い出すことができました(写真を見られるようになるまで時間はかかりましたが)。

息子の棺に入れたものは、
・色とりどりのお花
・夫婦、娘、夫の両親、私の母それぞれが書いた息子宛の手紙
・布の絵本
 お洋服は、退院時のために準備していたベビー服を一式、帽子もかぶせてあげました。あとで、名前を書いた紙(手紙にきちんと書いたから、天国のお友達にもわかるよね)、粉ミルクも入れてあげれば良かったなあと思いましたが、そのときは思いつきませんでした
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プロフィール

miso1213

Author:miso1213
 2010年12月に6週で初期流産、そして2011年12月13日に息子を38週で死産しています。現在、3歳の娘の母親でもあります。
 自分の悲しみと向き合い、心の中の息子と共に、少しずつ前に進んでいきたいと思っています。同じような死別体験者のために必要な情報提供もしていきたいと考えています。

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